「発達障害の〇〇さん」の前に「〇〇さんってどんな人?」という捉え方

クローバー本部の大塚です。

この週末は台風でまともに家を出れなかったので、
好きな読書と映画鑑賞を楽しんでいました。

私が一番好きな作家さんは、市川拓司さんという方です。
代表作には、「いま、会いにゆきます」などがあります。

学生時代からずっと好きな作家さんなんですが、
昨年出版された「私小説」という作品で、
私は初めて彼が発達障害だということを知りました。
発達障害の中でも、「自閉症スペクトラム」に当てはまるそうです。

「市川拓司 発達障害」と検索すると彼のインタビュー記事がいくつか出てくるのですが、
参考になったのは、実際に市川さんの声で語られたこちらの記事。
「NHK 健康チャンネル 市川拓司さんインタビュー」

この中で印象に残ったのは、
「発達障害は病気じゃなく個性で、個性は薬じゃ治せない」という話です。
彼自身が、自分は発達障害という個性を持っていたからこそ、いくつもの作品が作られているのだと語っています。
彼の作品が大好きな私からすると、
発達障害があると知ってからも彼の作品に対する想いや見方は変わらないし、
これからもその個性で新しい作品をたくさん書いて欲しいと思っています。

そんなことを思いながら、ふと考えました。
もし彼を知ったきっかけが彼の作品自体ではなく、「発達障害の作家」としてだったら、
私は作品を純粋に楽しめただろうか?と。
おそらく、「やっぱり発達障害の人が書くストーリーは個性的だな、独創的だな」なんて分かったふりをしていたんじゃないかな、と思うのです。
発達障害だから何か特別な才能を持っているというわけではないし、
発達障害を持っていなくても独創的な人はいて、
作品の良さというのは発達障害そのもので決まったものではなく、
発達障害という一つの要素を通して生まれた彼自身の個性のおかげなんだと思います。

障害を先に見てしまうと、障害でその人のすべてが決まると捉えてしまうケースって、
実は多いのかなと思います。
実は私の友人の中にも、大人になってから発達障害と診断を受けた人が何人かいるのですが、
仲良くなった後にその事実を聞いても、彼らに対する見方が変わることはありませんでした。
それはおそらく、障害があるからとその人を決めつける前に、その人自身と向き合えたからだと思います。

「発達障害」「認知症」という部分を先に見るのではなく、
「その人自身」を先に見る、これってかなりかなり大事なのでは?と改めて実感した週末でした。