番外「映画 種をまく人」を観て

本日のイーゼルの答えです。

ちなみに、これね。

美味しかったな。

また、リクエストしましょう。

年末です。

大体

1日おきくらいで

ロサ界隈に(笑)。

でも今日は、

シネマロサそのものに

用事がありまして。

これ。

上長さんのお友達が、映像監督をされてもいる

映画「種をまく人」

観てまいりました。

ちなみに、ロサで前回観たのは

「カメラを止めるな!」でした。

早いですね時の流れが。

こちらは、「種をまく人」のホームページ。

2時間近く、まあまあの長尺なのに。

そして、ポスターからもわかるように

軽いテーマの作品ではないのに。

最後まで、サーっと

観れてしまいました。

内容は…ネタバレにもなるので

感じたことをいくつか。

役者さんの存在感がエグい

作品HPより。

どの役者さんも、

人間の本性というか、普段

それとなく思っていたり

感じていたりすることが

何かのきっかけで

さらけ出された時、

その濃密さ、激しさ、

おどろおどろしさ…

演じてくださってて

存在感バツグンで

ありましたが。

とりわけこちらの

岸健太朗さん。

直接お会いしたこともあるんだけど

いやあ

画面に出てくると、

目がいっちゃいますね。

かの

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを

オマージュした出で立ちかと

お見受けしますが…。

敬愛する

ウィレムデフォーさん。

これが、日本だ(笑)。

他のことに目が行くのは、

目を背けたいものがあるから

物語が進む中で、

重要なインシデント(出来事)が起きる時、直接の描写は、あまり

出てきませんでした。

周りの人の動作や

画面の様子で

「あ、何かあったな」

「あれはこうなったんだな」

って、気づく感じ。

またその、配置がね。

絶妙で。

ふと気がつくと、

「あれ、この洋間に、なんでお茶碗だけ、和風なんだろ」とか

「昔の公園の遊具って、見てるだけで『あそこで転んだら、ぶつかったら痛いだろうな』と思わせる形してるな。コンクリートも怖い」とか

「‥こんな人が渋谷にいたら、子供がついてくついてかないに関わらず職質コースだな」

とか。

まあー、画面のあちこちに目を、気をやってる自分に気がつきました。

その理由はわかってて。

これから、話がどう進んでいくか

わかって、物語を直視するのが

苦しいから

なんですよね。

観たくない、じゃなくて。

なんとか食らいつくために、視線のやり場を探すというか。

観客のメタ視点だと、いわゆる「裏事情」とか「衝撃の事実」って

いつも先に知らされるじゃないですか。

それに直面した登場人物たちが

果たしてどうなるか。

ううー、ハードでした

んで、これに伴ってつぎ

ふとした音響や隠喩が、

こちらの感性を倒しにくる

少女が家に帰ると、

母親が掃除機かけてて。

いやーな音に聞こえるんです

掃除機の音が。

映画館のサラウンドのすごさも

手伝って。

そういえば私も、子供の頃

掃除機の音を聴くと

なんだか胸騒ぎがしてました。

あと、テレビの起動音、ね。

周波数的なものかな?

この作品は、

おそらく夏前後の時期の撮影。

全編通じて、ひぐらしが

あのバーチカルブレーキみたいな

声で鳴いている。

音量の違いもありますが、

例えば、公園の無機質なマスコットのバックで流れたりする時

夕焼けのときに聞こえたりする時とで

それらの要素と相まって

同じひぐらしの鳴き声でも

受ける印象が全然違う。

そんな効果が、

いちいち刺さる。

心を揺さぶってくる。

そして

きわめつけ

モノがなかったので

ジャンプ展の時の背中で代用。

そう、背中です。

さっき触れた

女の子帰宅のシーン

に戻るんですけど、

彼女は母親に「あること」を告げる。

お母さん、衝撃の事実(ていうか…気付きそうだけど考えないようにしてた?)に

必死に娘を

説得しようとする。

もはや見ていてこっちが痛い。

でも、

母だけを責める気にもならない。

そこに

父親帰ってくる。

こちらも、色々あって

なんとも言えない流れになる。

母親出て行く。で、

父親、

とにかく娘に言うわけです。

「ランドセルおろそっか」

‥!!

そう、母親は

聞いたことの衝撃で我を忘れ

帰ってきた娘のランドセルを下ろしてあげることすら

重荷を外してあげることすら

忘れていた。

そこで、あらわになる

(服着てますけど)

少女の背中。

それ見せられて

あー

もうだめ。

天よ

この細腕に

あまりにも薄い背中に

これ以上

これから

何を背負わせようというのか。

それすら

彼女の罪とおっしゃるか?

はよ画面変えて!

…って身悶えしてました。

きっついです。

それでも、救いがあったかはともかく、進んでいくものはあった

とまあ、書いたように

大団円とかのたぐいではないです。

て言うか、日常生活って

そうですよね。

爆発的ハッピーエンドなんてものは

たまに起きるから

価値があるのであって。

でも、少なくとも私はね

一つ気づかされましたよ。

うろだけど、

少女が学校で授業受けてるとき

板書がされるんです。

日々の小さな幸せを、

喜びを追いかけてく。

それらはまるで、あたたかい

夕方の家々の窓の明かりのようだ」

的なね。

…女の子は、外向いてたな。

岸健太朗さん演じる「光雄」は

いわゆる、変わった人です。

でも、彼はずっと

疑いをかけられても

謗りを受けても

悪天候の中でも

ひまわりを、

ひまわりの種を探し続ける。

そして、どんなところにも

どんな形でも

ひまわりは、ありました。

種をまいてみたら、

公園のコンクリのとこでも

とりあえず芽は出ました。

あー…そうかもな。

この人には

私が見えてないものが

今でも、見えてたのかもしれないな。

それ自体、

大したことではないのかもしれない、けどそれゆえに

日々の、たくさんのことのなかで

忘れてしまっていた感性。

それって、昔は

自分の原動力でも

あったかもしれないな。

いつからだろ

忘れがちになってしまったのは‥。

てね。

ぼんやりそんなことを考えるうち

物語はラストへ。

なるほど、

しずかなれど雄大な音楽の中

夕陽にそよぐひまわりの花は

たしかに、家々のあかりに

見えなくもないかな。

あれ?

こんな重たい話だったのに

不思議と、観終わったあとの

心と足取りは、軽いかも。

そんな、映画でした。

ありがとうございました。

あのN