「おんなじものを見ていても」の裏側

今朝のイーゼル再掲です。 そういえば昔、サントラの「ブリッジコレクション」が好きでした。特にガンダムWと、Xのがお気に入り。

ガーデンプレイスです。

「わあー、全然変わっちゃったねえー」

ビール工場は、昔からあったんでしょう?

「そうだけどさ、色合いとかカタチとかは、なーんかこんなじゃなかったよ。アーケードがある方もさ、私が来た10代の頃には、こんなになるなんて想像もできなかったねえー」

いつもだったらね。

「同じ景色を見ていても、人によって全然違うように映るんだなぁ」とか

いかにもなトコで止まってたかも。

ちとワケあって、再認識したんです。

‥その感動?って、ある景色が(同じとまではいかなくても、その大枠を変えずに)世代を超えて共有できて、初めて成立するものだなって。

それってとてつもないことですよ。

変化できない?成長の機会がない?そんなのは能動的自主的に動ける前提の話。何かを成し遂げなくても、

こんな環境が、わりと平均的にある暮らし。それが今の日本じゃないかなと。

いわく「失われた30年」

いわく「ロスジェネ」。

まあ、そうなのかもしれません。

一方で、そんな長い期間そんなことが成立しえたのは、恵まれてたともいえるのでは?と。

肯定しているのではなく、えーと

その安寧?を貪った‥は言い過ぎかな、じゃ

「恩恵に預かった」でどうでしょう。

少なくとも、私はあります(笑)。放蕩ってーのかな、上見たらキリがないけど、それでも、浪費した自覚。

要は「確かに現状はアレかもしれない。じゃあ、ロストしないように、ひとりひとりは何をしてた?」ってことに、なるんじゃないでしょうか。

何もしてなくても、随分とまあ、平均的に

色々いただいてる気がします。

その分くらいは、なんとかしようという気に‥

あ、ならない?

無敵ですね(笑)。

あのN